サバイバー♫カイルアお天♩のハワイ音楽日記 vol.3 

911もコロナロックダウンも超えて歌い出す回復のピアノ

蘇るピアノとの再会が私にくれたハワイアンの心

オバマさんが大統領になった2009年私はニューヨークからハワイに移住しました。日本を離れて20年以上、自分では歌すら歌わない生活をしていたわけです.

そんな時、ハワイに移住し再婚した夫が私に一台のピアノをプレゼントしてくれたのです。

すると以前から友達だったカイルア・ミュージック・スクールのオーナーから「ピアノの先生を探しているが、お天やってくれないか?」と誘いを受けました。

私は「ピアノを弾くことも、先生になること」にも全く気が進まなかったのです。しかし断ることもできず仕方なく嫌々ピアノを教えることになったのです。

ところがピアノを弾き始めると何か蘇ってくるものがありました。「耳で聞いた音楽なら何でも私の指から出てくる」あの感覚です。

ハワイアン・ミュージックを弾いてみて気づいたのは、この音楽が私にとって、初めてではなかったことです。

そう子供のころ羽衣の新東洋にハワイアン・ジャングル・プールというのがあり、毎週家族で食事しに行ってたことを思い出しました。

ハワイアン音楽は子供の頃の私のレパートリーに知らないうちに入っていたようです。フラダンスは私の中で、プールの横で踊っているものだと思っていましたが。

これをきっかけに、私はハワイの子供達にピアノを教えたりシニアホームで弾いたり、再びあちこちでピアノの演奏をすることになったのです。

そんなことをしているとハワイアン・チャンティングの伝統を持つ、カラマファミリーとの出逢いがありました。

私がピアノを弾くと、なぜかハワイアンの人々が寄ってきます。そして中には号泣する人もいます。過去に遊びと思って録画したビデオがハワイ以外に居住するハワイアン達の間で、二時間で7000件もの拡散でヒットをしました。

その人たちのコメントによると、私の手から何かが出ているとか、神様が降りてきたとか。。。ハワイアンは私を自分たちが無くしたピアノの部分の文化を、チャネリングしていると感じているそうなのです。それから、私の声が魂に響くと言っています。

お天は音を醸し出す存在だとハワイアンのミュージシャンたちがいうのです。

このようにして私は20年というピアノを封印していた時を経て、自分でも驚くほどピアニストとしてどんどん、磨かれていくことに戸惑いつつ音楽の世界にひき戻されていきました。

再び音楽を取り戻した私。今年春いよいよハワイのミュージシャンとアルバムを作る計画が進み始めたのです。しかしまさにその矢先に、コロナ問題が発生しました。

ハワイの街もカイルアもロックダウンとなり孤独な3ヶ月が過ぎて行きました。その間私は一人でピアノを弾き、ハワイアン・モードの自宅でのコンサート活動をフィイスブックやユーチューブにアップして行きました。色々なことを考え落ち込んだりアップしたり・・。それでもピアノを弾き続けました。

ロックダウンが解除されつつある今、再び音楽活動を再開します。ハワイの音楽、日本の音楽、アメリカの音楽、いろんな音楽が私の頭に指にやってきています。 オンラインを使ってそれを世界のいろんな人とシェアできることも知りました。

私自身を癒し、元気にする音楽、そして皆さんの大好きな音楽、そして心の回復について、ピアノと歌とお話をお届けできたらと思います。

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