サバイバー♫カイルアおてんのハワイ音楽日記  Vol.4 ハワイで私を待っていた白い2台のピアノと鍵盤型の階段

自分がいろんな理由の混ざったPTSDだと理解し始めた私

アロハ!ミュージック・アンバサダーのカイルアお天です。🐰

お陰様で現在、カイルア始めハワイは観光の波から暫しのブレイクをいただき、静かな癒しの時を迎えさせていただいております。

古い時代からいる住民達にとっては、コロナの恐怖さえなければ、やっと訪れたバケーションとなり、皆それぞれが自分を見つめ直し、本来のアロハは何かを考える時期となっている気がいたします。

では、改めて私、今日からカイルアお天の

ハワイのメンタル・ヘルスについて

自分の体験をベースに語って行きます。

前回もちょっと書きましたが、私は PTSDであると診断されて、しばしばパニック発作などに襲われる毎日を続けています。

自分がPTSDである事を理解し始めたのは、ここ数年です。そのきっかけとなった事件が起こったのはもう、何十年も前です。

診断の当初は、

子供の頃から色々な問題が積もり積もっていて

どこから治療していいのかわからないと

ドクターに言い渡されましたが。

私自身が一般にお伝えしているのは、ニューヨークでテロに遭った。

と超簡単に、まとめてわかりやすく他人には伝えてますが、

ニューヨークでポリスにアビュースされた事や、そしてあの911のテロも含めて、

トラウマがまた次のトラウマを。の繰り返し人生でした。

私の場合、修羅場超えてきたから、

「この位大丈夫」という変なヤンキーみたいな頑張りが

トラウマを大きくした原因みたいな気がします。

グランドピアノの下で寝ることになる!という恐い暗示

小さい時に、あまりにも大切に過保護にされたこともトラウマですね。

「あんたは、暑い思いも寒い思いもしたことがないから、

苦労は何も知らないから、世間で通用しない。」

という母の言葉を子守唄がわりに聞き、

しかも、「この家と同じ大きさの家を建ててくれる人と結婚しないと

このグランドピアノの下で布団弾いて寝ることになるよ。」

口癖のようにいわれたこも混ざって、かなり、びびりながら生きてました。

そして、何だか人がしていないすごい苦労を買ってでもしないと、

ピアノの下で寝なくちゃいけなくなるらしいと信じ込んでいました。

そして気付いたら、私は自分の黒いグランドピアノを売り飛ばして、その恐ろしい大阪の実家から遠ければ遠いほど良いと、ニューヨークまで逃げてきたのです。

そしてさらにいろんなことがあって2009年に私はハワイへ移住しました。

アメリカにきて10年近くピアノをずっと封印していた私ですが、ある日突然夫から電子ピアノをプレゼントされたのです。
ピアノの話題が出た時に、以前自分がピアノを弾いていたことを夫に話したことが始まりでした。

カイルアで待っていた鍵盤の階段と白い2台のピアノ

そして・・「待ってました!」とでもいうように、私の長年信頼しているハワイアンの友人から呼び出され、思うようなピアノの講師がいないから、学校の経営が前に進まない。先生をしてほしいという話が舞い込んできたのです。

最初は本当に気が進まなかったのを今でも覚えています。

せっかく、何年も誰にもピアノの話も、音楽の話もせずにただただ消費者の立場で居られる平和を味わって来たのに、今更また、音楽を仕事にするのなら、今までわざわざピアノと縁を切るためにニューヨークまで人生をやり直しに行ったことは何だったのだ?

カイルア・ミュージック・スクールにはそれまでも出入りしていて、前校長のボブさんがキーボードをわざわざ家まで届けてくれたのに、一年近く電源を入れないまま、自分からお返ししに行ったこともあったのです。

このように私はかたくなに音楽で生計を立てることを拒み続けていたのです。

しかしそんなことを何も知らないアメリカ人の夫は、私がピアノを弾けることを知ると「近所で子供でも教えればいい」とささっとピアノ教室の看板を作り自宅前の芝に立てたのです。

またカイルアミュージックスクールで撮影した、私のひくハワイアンソングがネットで紹介されるとたった2時間でハワイアンの間に拡散され7Kのいいね!がついたのです。

こんなことで何となく自分が思っていたアメリカの生活と違う方向に人生が動き始めたことをその頃の私はよく理解できていませんでした。

そして、カイルアミュージックスクールの階段はピアノの鍵盤のデザインなんです。

さらに驚くのはこの白いベービーグランドピアノです。それは私がアメリカに行くために日本で売り払ったあの黒いグランドピアノと同じ型??

そうなんです。夫の買ってくれたローランドの他にもう一台、確かに日本で別れたのと同じモデルの白いグランドピアノがハワイ・カイルアで私を待っていたのでした。

ハワイに来て10年がたちますが、今でもスクールでこのピアノと階段を見るたびに、心を閉ざした自分に当時何があったのか複雑すぎて今はわかりません。
人生は巡り巡って、結局やり残しのないようにできているのかな。。。

今でも、過去の記憶が時々断片的にわからなかったり、思い出そうとすると動悸と痛みが起きたりして困りますがセラピーを受けながら、カイルア・ミュージックスクールのハワイアンミュージシャンのおかげでピアノ🎹ともう一度ちゃんと向き合うようになりました。

症状は以前に比べて少しずつ改善されてきた気がします。

そんなわけでこうして自分のメンタルヘルスのことやハワイの仲間たちのことを少しずつ書いていこうと思ったりしています。

ではこのお話の続きはまた来週!

❤️マハロ❤️♪ (ハワイ語でありがとう)

OTEN Today’s music 今日のお天の気持ちからお勧めです。ちょっと疲れた時の一曲は
https://youtu.be/gnZgNYoZkeU

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