26年間飲んだ統合失調症の薬を断薬したが、実は場面緘黙だった

タツオさん 

診断名 統合失調症 発達障害 場面緘黙

写真はイメージです

診断名 統合失調症 発達障害 (場面緘黙)

インタビュー 月崎時央

初診: 1991年(27歳)精神科クリニック
断薬完了: 2017年(服薬期間26年間1991年〜2017年)
断薬にかかった時間:6ヶ月
断薬直前まで服薬していた1日の薬(以下お薬手帳をそのまま転載)

ランドセン0.5mg1錠×3回 気分感情の不安定さ高揚、抑うつを和らげます。けいれん発作にも効果があります。

バレリン酸100mg1錠×3回 けいれん発作にも効果があります。気分(感情)の不安定さ(高揚・抑うつ感)和らげます。

レボトミン5mg1錠×1回 不安・緊張・気持ちの高ぶり等の精神症状を改善するお薬です

エバミール1.0 1mg2錠×1回 睡眠薬です。寝つきを良くする薬です

トリプタノール錠25mg1錠×1回憂うつな気分を改善したり、尿が漏れるのを防ぐお薬です

エホチール 5mg 1回1錠×2回 血圧を上げたり、目の網膜の動脈の血行を改善するお薬です


私とタツオさんとの出会いは24、5年前にさかのぼります。タツオさんは27歳のとき、私の運営する編集プロダクションに、病院の精神科ソーシャルワーカーに伴われてやってきたのです。

ソーシャルワーカーは「統合失調症のために仕事をやめ、現在はリハビリ中なので何か仕事をさせてほしいんです」と私に彼を紹介しました。

でもタツオさんはどこかそっぽを向いたような、他人事のような感じで私と目を合わせることはありませんでした。私は随分無口で無愛想な若者だなあという印象をもちました。彼は理系の優秀な大学の出身でもあり、パソコンが得意ということで、しばらくいくつかの事務作業をしてもらいました。
しかしほとんど口も聞かず、動きはロボットのようにぎこちなかったことを覚えています。その後、私の事務所の移転とともに事務作業は終了しましたが、私はその後も26年間に渡ってどういうわけか電話やメールのやりとりを続けてきました。

 この間に、タツオさん一家では弟さんが独立し、お母さんは亡くなり、お父さんは認知症のため施設に入ることになりました。タツオさんはいま、家族とともに暮らしていた自宅で一人暮らしをしています。自宅には病院から訪問看護師やホームヘルパーが派遣されていて比較的恵まれた支援体制が整っている様子ではあります。

 タツオさんは20年以上、統合失調症の治療を続けてきたのに、2013年ころ主治医から突然「あなたは発達障害かもしれない」と診断名の変更を告げられたそうです。発達障害について全く知識のなかったタツオさんは驚き、戸惑い、早速インターネットで調べると「自分に当てはまるかもしれない」と感じたといいます。

 そして2018年になって、驚くことにタツオさんの「無口」は彼の性格なのではなく、「場面緘黙」という症状であるらしいことを、私は彼との短い会話から知ることになったのです。子どものころから、長年にわたる場面緘黙という症状を持って苦しんできたらしいタツオさんにとって、どうやら私は現在話をする「3名の他人」の一人であり、友人であるようです。

 そこで私は2018年4月からタツオさんとスマホを利用したLINEのメッセージ交換を始めることにしました。LINEには豊富なスタンプ機能があり、喜怒哀楽の細かなニュアンスを豊富なイラストから選択することで表現できるためです。

 実際にスタンプを利用してみると、タツオさんの内側には、言葉にしない細かな気持ちの動きがあることが見えてきました。またタツオさんの書く文章は正確で礼儀正しく、情報をきちんと伝達できる内容であり、発語の不自由さを補うのに有効なものであることもわかってきたのです。そのため、本項後半のインタビューの文章は、 LINEでの毎日のチャットと並行して口頭で行われたものを組み合わせてまとめています


自分の性格の弱さだと思い続けていた日々

——タツオさんは、自分が話ができないのは、ずっと気が弱いせいじゃないかと考えていたのよね。それで最近場面緘黙についてのテレビをみたわけね。

はい。びっくりした。そして自分はこれだと。いまさらかと。子どものころからですから。

——自分と同じ人がいてびっくりしたのね。話ができないのは、いつから?

小学校のころから。

——なぜ親は気づかなかったの?

親のまえでは、普通に話していた。ただちょっとしゃべらない子。

——口数の少ない子だった。弟さんがいますよね?

はい。弟は社交的です。普通にしゃべっていた。家の外でも友達が多い。私、外でもしゃべらないから、友達いない。

子どもの頃から困難を黙って我慢し続けた日々

——最初にこまったのはいつ?

トイレにいけないこと。行きたくても行きたいって言えないから。

——それでどうしたの?

我慢した。

——それはいくつの時ですか?

小学校の時。

——お母さんは車椅子だったけどいつから車椅子に?

小学校2年〜3年生くらいの時。気がついたら松葉杖ついていて。手術しました。痛くなると夜も眠れないんです。

——お母さん痛がっていたの?それをいつも聞いていたの?

はい。帰ってきたら病院にいっていました。

いつも家族の中にあった子どもには理由のわからない怒りの爆発

——子どものころ辛かったことは?

母は困っているというのか、突然よくわからないことで怒り出すのです。随分前のことを思い出してすごく怒って。なんでもないことで。

——なんで怒っていたの?

覚えてない。

——お父さんにも怒るの?

父は手が出ますからね。暴力が。

——お母さんは何のことで怒っていたの?どんな種類のこと?

わからないですね。

——でも怒っているお母さんを子どもはいやだよね。

そうですね。

——お母さんがそんなに怒りっぽかったら学校のこととか相談しにくかった?

穏やかな時とそうでない時の差が大きいです。

——そうなんだ。

父が何で手を出しているのかわからない。

自宅では喋れるので親に気づかれることもなかった

——なぜ学校でしゃべれないことが先生などからお母さんに伝わらなかったの?

おとなしくて成績がよかった。よく保健室で休んでいた。喘息の発作で。

——小学校のころは誰かと話せたの?

小学校のころはまだ口数少ないけど、友達いないけど。発作の時は話さなくても保健室にいけばよかった。

——勉強は何が好きなの?

理科とか、数学とか。中学までは問題なかった。高校行ったら大変だった。

——進学校だったよね。

いろんな人いました。東大行く人もいれば

——いじめられなかったの?

今考えるといじめかもしれないけど、そのころはいじめられていると思ってなかった。あったかもしれない。

——高校時代はもう誰ともしゃべらなくなっていたの?

ひとりふたり。その相手はしゃべる人。今でもFBで友達申請きました。

——大学では何を勉強したの?

電気工学。電気一般。弱電と強電

喋れないから誰にも助けを求めずに一人で問題に向き合っていた

——大学で勉強は?理系だから実験とかどうしていたの?

かなりしゃべれなくて。だから学校の手続きとかできなくて。試験の問題とか集めたり、みんなはしてたけど、しゃべれないからできなかった。

——就職はどうしたの?

面接受けても答えられない。答えになっていなかった。多分。

——面接で何回も落ちたけどどこか受かったんでしょ?

研究所に勤務した。実験のハードウエアを動かすソフトを測定する研究。

就職はしても何をしていいのかを聞くこともできないままにうつ状態に

——与えられた仕事は技術的には、できていたの?

今考えるとできてない。一人で組んでいたので、外に出すものじゃないから。誰のチェックも入っていないから。

——仕事そのものにストレスはそんなになかった。生活は?

最初は会社の寮にいて、26歳くらいで寮を出されて一人暮らしを始めた。

——会社で友達は?

いません。話せないから。

——上司の指示は理解できたの?

わからないけど、しゃべれないから聞けない。

——わからないことを、質問できないまま、わからないままやるの?

はい。適当に。

——わからない時、きっとこうだろうと適当にやる癖はいつついたの?

それはだいぶ前。

——じゃあ適当にやるのがだんだん普通になったの?

……

——最初はなぜ精神科に?

うつだった。

——誰がうつだと?

自分で気持ちが落ち込んだんです。

様子を見かねた上司は精神科に付き添ってくれた

—仕事は忙しくなかった。叱られもしなかった。友達は前からいなかった。

1人だけ話せる上司に相談したら精神科につれていってくれた。

——で診断はどうだったの?

最初は薬が出た。仕事は休まないで。

——最初に飲んだ薬は。

きつい薬だった。飲むと気分がハイになって、上がって。陽気になって。話し出すと話が止まらない。なんかどうでもいいことを。

——えっ?しゃべったの?どんどん喋っている時はどうなるの?

抑えられない。

——しばらく飲み続けたのね?

買い物もした。いきなりどーんと落ちることもあって。そうするとまた違う薬をもらって、ピークが低くなり、あまり上がらなくなり、だんだん効かなくなってくる。

——最初のクリニックでの診断はうつ病だった。

会社に通いながら、実家に週に何回か帰って、実家の近くの精神科病院に受診したんです。

統合失調症と診断されたが幻覚も妄想も26年間一度も体験していない

——そのあとは?

で、退職になって、病名が統合失調症ってことに。

——幻覚とか妄想とかあったの?

いや。あったと思わないです。

——今までに現実から離れたような荒唐無稽なの、誰かが付け狙っているとか?操られているとか例えば宇宙人が攻めてくるとか考えたことは?

ないです。

——最初からずっと同じ先生が主治医ですよね

そうです。

——統合失調症の薬を飲んでいたのね?副作用は?

じっとしていられなかった。そわそわ。

——他には?

便秘とか太るとかも。

——それで薬は?

次々に変わっていった。

しゃべらない分勝手に全てを症状と決めて多剤処方を次々試され続けた

——でもタツオさん診察でもしゃべれないんでしょ?何を理由に薬が変わったの?

あんまりしゃべらない。

——どうやって先生は変化を知るの?

先生がどう判断したか知らないけど、どんどん薬が変わっていった。

——ある程度、言葉は話せていたの?

一言二言。「不安感があります」とかいうと「変えてみましょう」と。

——薬は何を飲んでもよくならなかったの?

変わらないです。

——どの薬が一番ダメだったの?

わからない。薬に関心がない。

——27歳から薬をやめる53歳ころまで随分長く統合失調症の薬を飲み続けたのね。

はい。

突然医師からあなたは発達障害かもしれないと告げられた

——でも診断名が発達障害かもしれないと同じ医師に言われたのね。いつ?

今から5〜6年前2012年ころ。

——何で急に発達障害と言われたの?

何のことだからよくわからなかった。

——自分は統合失調症と思っていたのに突然病名変えられてどう感じたの?

さあ、あまり感じない。そうなのかなと。

——調べたの?

調べた。そしたら当てはまるから、そうかなと。

——大人の発達障害の情報はすぐ受け入れられたの?

ネットで調べたらあまり時間はかからなかった。

——あー自分これだと思ったのね。発達障害とかもと言われているけど、長年、統合失調症の薬を飲んでたでしょ。症状はすでに安定していたの?

はい。

——発達障害と診断されたけど、薬は統合失調症の時から変更されていないのね。

はい。

断薬のきっかけは飲み忘れ!元々効いておらず副作用だけがあった?

——それでどうして断薬することに?

飲み忘れたというか飲まなかったことがあって、でも何も変わらなかった。

——どれくらい忘れたの?

1週間くらい。最初は薬を飲むと朝、起きられないということで量を減らしたのがきっかけ。

——それからどうしたの?

ただ飲まないだけです。最初は量を減らした。数を減らした。

——どれが抗精神病薬かベンゾジアゼピンかとか、自分の飲んでいる薬名をインターネットで調べようとかはしなかったの?

調べなかった。興味がない。

——どのくらいの期間をかけたの?

数ヶ月。5ヶ月くらい。

喋れないから、なんでも自己流。断薬も自己流で決めた

——タツオさん言葉が出ないから、これまでの人生誰にも相談しないで自分で勝手にしてきたじゃない。薬もそうやってやめたの?

そうです。

——診断名とかのことを考えたりはしていないのね。自己流?

はい。考えてない。

——私は2016年ころ、毎日のように、合計何十回も、「変です気が狂いそうです!助けてください」と電話やメールで連絡をもらったけど、あれは何?離脱症状だった?私はその時薬をやめているなんて知らなかった。

そういうこともあったかもしれません。

もう今となっては説明できない激しい離脱症状に襲われた日々

——あの時いったい何があったの?

説明できないです。

——どんな感じ?

変な感じ。

——変っていうのは?

それが説明できない。

——何がおきていたの?

うまくいえないです。それがあったから。

——気が狂いそうだっていうのはどのくらいで収まったの?

3ヶ月〜半年くらい

——私は1週間に3回くらいそのメールや電話を受け取って毎回びっくりしていた。

そうですか。

——忘れてるんだあ!で結局収まったんだよね?

気がついたら終わっている。

——その時はどうしていたの?1日に何時間そうなるの?

そういう気持ちが強くなったときに連絡し、そのうち治る。そう長くは続かない。数時間。

——どんな時におきたの。自宅にヘルパーさんや訪問看護師さんのいる時には?

起きない。

——それで主治医にはいつ薬をやめたと言ったの?断薬完了してから?

1〜2年位前。

——いわゆる離脱症状はいつから始まりいつ終わったの?

はっきり覚えていませんが離脱症状は断薬して割と早く始まったと思います。悪夢といえばそんな感じもします。フラフラするような感じがして、実際ふらついて自転車で転倒し、骨折しました。(LINE文章より)

——当事は離脱症状のことは知らなかった。

はい。だから何か別の変な病気になったかと。脳とか神経の病気ではないかと。深く考えずに断薬したことは、今考えると無謀なことをしてしまったような気がします。幸いなことに今は、離脱症状はほとんどなくなったみたいです。( LINE文章より)

断薬した今も精神科に通い続け福祉的な支援は受け続けている

——精神病院には今も通っているの?でも相変わらずほとんどしゃべらない?

はい。1ヶ月に一度。今は薬はもらっていない。

——薬を一切もらわなくなったのは?

最後にもらったのが2017年6月6日。ベルソムラ。最後これだけになった

——断薬してから先生に言うまではどのくらい?

しばらくそのままにしておいた。訪問看護師さんはわかっていた。

——最初は何がきっかけで減らしたいと先生にいったの?

最初減らしてくださいと言った。他の人の減薬の話をきいてからですね。

——あ、私たちが『減薬ダイアローグカフェ』でした話(^^;;)ね。

減薬ってただ数を減らせばいいのかと思った。

——私が危険な情報を渡してしまった。すみません。

それがきっかけで、先生にいったら先生も減らした。それを私が勝手にさらにそれを減らした。

——一切やめましたといったら。先生は何といったの?

何にもいわないで、何かのときにはこれを飲んでくださいと睡眠薬ベルソムラをくれた。1錠飲んでこれ飲むと起きられないといったら、じゃあ半分にしてくださいと。

——それが約1年前のこと?

それもいらないから飲まなくなった。

——じゃあ精神科ではもう何も薬は出ていないのね。

はい。

——障害年金はもらえているの?

はい。2級。

——先生はそれについてなんていうの?

何にもいわない。

——長い間、27歳から53歳まで、統合失調症と診断され、薬をいっぱい飲んできたでしょ?そのことはどう思うの?

あの時は必要だったかもしれない。今になると飲まなければ良かった。今は必要を感じられない。薬をやめたことで口渇もなくなりました。(LINE文章より)

——場面緘黙という状態に困っていることは最近わかったのでしょ?

これは何かなとはずっと思っていた。でもうまく言えないので訴えられなかった。

——薬を飲んでいたから訴えられなかったってことはない?

薬はたしかに違うものが出されていたから。違う診断になっていたかもしれない。

——人と話さない、愛想が悪く、孤独が好きな人という印象を持たれがちでしょ。話しかけられるのが嫌と思われたり、誤解されるはと嫌じゃないの?

話しかけられても、こっちから話すことができないから。

自分の楽しみは独自のものだから自分の世界観が大切

———好きな分野のことなら、どう?話すことが嫌いなの?例えば自転車レースが好きだからツールドフランスの話とか詳しいよね。そのことがよくわかる人と話して楽しさを分かち合いたいとかはないの?

分かち合いたいことはそんなにない。一人でいても好きなことなら盛り上がる。同じものが好きでも同じものに対して違った見方をしているから違う。(LINE文章より)

——タツオさんの中の好きなものの世界感ってそれぞれに確立されているの。

はい。

——あまり人としゃべらないからこそ確立できた自分だけの世界観があるということかなあ?

はい。

——他人にかき回されたくない感じ?

はい。

——少し前からピアノを習って発表会にもでていますね。

ピアノは誰かに聞いてもらいたくてやっているわけじゃない。自分が弾くのが楽しいから習っている。

——好きなものはみんな自分自身のためにあるのね。

はい。

——場面緘黙問題をなんとかしたいという気持ちは?

それはありますよ。

考えと発語のアンバランスのもどかしさ

———場面緘黙ということを相手に伝えるとコミュニケーションが変わるでしょ。タツオさんが本当は返事をしたいとか、挨拶をしたいということをいろんな周囲の人に伝えた方がいのじゃない?

でもそれを伝えても相手がどう思うかわからないから。困っています。言葉がなかなか出て来ないのがもどかしいです。考えがどんどん出てくるのにそれを外に出すことができない。考えていないのと同じことです。(LINE文章より)

——長年一人で頑張ってきたけど、これから少しいろんな人に相談してこれまでと違う方法を試してみるのはどうかしら?

そうですね。他の人の考えを参考にした今までと違うことをしてみるのもいいかも知れませんね。(LINE文章より)

発声のための器官や言語能力に障害がなく、家庭などの安心できる環境では話ができるにもかかわらず、学校など社会的な状況では他者と話せない症状が続くこと。特定の場所・状況になると、不安や緊張によって話せない。発症する割合は数百人に1人程度で、不安障害の一つとされている。

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