私の取材してきたこと信じてきたことの多くは間違いだった。
私は1993年にきょうだいが躁うつ病を発症したことをきっかけに精神保健福祉の取材を始めました。約25年間、精神障害者の家族として、また自分では自分をジャーナリストだと思い込んで精神保健の学会に行ったり、医師を取材したり、様々な記事を書いてきました。
しかし今振り返ると結局は日本の精神保健福祉業界の内側に入れてもらって中の人の目で情報を発信をしてきたのだなとと今は思います。
つまり残念ながら私の記者人生の大半は間違えだらけのものだったと認めることから私は再スタートを切るしかないのです。
この間にいわゆる“精神障害を持つ”友人たちとともに過ごすたくさんの経験をしました。時には一緒に働き、またその方々がカップルとなり、結婚したりという幸せな場面にも立ち会ってきました。
しかしその一方で、精神医療には常に不祥事や人権侵害などの問題が起こり続け、それは一向に改善される兆しが見えません。
当事者の友人の中には病状が慢性化したままの方もいますし、友人が突然亡くなってしまうという悲しい経験もしてきました。
とはいえ、5年ほど前までの私は、精神科における薬物療法の有用性を全面的に信じていました。「精神の病は一旦罹患すると治りにくい、とても大変な慢性疾患なのである」と考えていたのです。薬のことを相談されたら「仕方ないよ病気なんだから頑張って飲もうよ」と当事者の皆さんをたしなめてさえいたのです。
しかしある日、薬を断薬したたった一人の回復者と対話したことをきっかけに、私は自身の考えを180度転換することになりました。それは大変なインパクトでした。
それ以来精神科の薬物療法に疑問を持ち始め、海外の情報などを集め始めると、その疑問はまたたく間に大きく膨らんでいきました。そして精神科における過剰診断、誤診、多剤大量処方など薬をめぐる問題についていろいろ考えるようになりました。
そして精神障害から回復した人々が、もっともっと確かに存在するという事実が気になってきました。
精神病という「容易には回復しない慢性疾患を抱えている」とばかり思っていたその方たちは、いったいどうやって元気になったのでしょう。
それが知りたくなった私は、精神医療体制やシステムの改革など、大きな枠組みではなく、当事者のみなさんの個別の回復の体験に目を向ける必要を感じたのです。
精神保健福祉関係者を取材したことにほとんど意味がなかった
回復した当事者のみなさんたちによって小さな声で語られるひとつひとつの物語や暮らしを見つめてみようと思いました。
そして減薬したり、断薬して回復した人々に会うために全国を回り、約50名のみなさんにお話をうかがうことができたのです。
私はこの当事者の人々を精神保健福祉の世界を主体的にサバイバルしてきた「サバイバー」であると考えています。
これらの精神疾患から回復したサバイバーの方々と対話を続けていくうちに、向精神薬の多剤大量処方による被害が本当に深刻で壮絶であることを知ることとなりました。
そして薬を調整して少しずつ回復を手にした多くの方が発症以前のさまざまなトラウマ的体験による生きづらさを抱えていたことも見えてきました。
そのようなトラウマからの影響を改善するのには、まず先に心理的なケアや環境調整が必要と思われる状態です。しかし精神科で真っ先に行われるのが向精神薬の服薬であり、必要と思われる対応や根本的治療がなされないまま、判断力や主体性を封じ込まれた結果、長期間の服薬により、精神医療のヘビーユーザーになっている方も少なくないことを実感したのです。
私は向精神薬や精神科で行われている心理療法などを全面的に否定するつもりはありませんが、患者さんの話を聞くほどに、薬にしても心理療法にしても、「まともな使われ方をしていない」例ばかりが目につきます。
つまり精神科受診の入り口に大きな問題があること。また、医師の質に問題があり、治療の中身が長期にわたって不適切であること、向精神薬が対処療法であること、依存性、耐性があることなどの説明義務違反が甚だしいこと、この結果、回復すべき人が回復せず、本来見えるべき出口が閉ざされている可能性が大きいことが見えてきたのです。
このように外側から見ると精神医療は深刻な問題が山積みです。本コラムでは、メンタルヘルスの問題を抱えた皆さんが、できるだけ安全に精神保健と向精神薬から距離を取り、回復の道を辿っていくための情報を、様々な角度から考えていきたいと思っています。